As of 24/12/09
蓮如上人について 蓮如上人は、応永22年(1415)に本願寺第七世存如上人のご長男として京都東山の本願寺で生まれられる。 蓮如上人が6歳の時に生母は事情があって本願寺を去られた。 その時生母は「 鹿子の御影」を絵師に描かせ持っていかれた。 永享3年(1431)に天台宗門跡寺院の青蓮院で得度され、名前を中納言兼壽と改められる。 その後、大和興福寺大乗院の門跡経覚について学ばれた。 長禄元年(1457)に父の死去に伴い、本願寺第八世の留主職を継承され、近江・北陸の教化につとめられる。 明応8年(1499)に山科の本願寺で多くの弟子や門徒たちに見守られ、85年間のご生涯を終えられた。
西暦 | 上人年齢 | 出来事 |
1415 | 1 | 蓮如上人、ご誕生。京都東山の本願寺で生まれられる。 |
1420 | 6 | 蓮如上人の生母が鹿子御影を描かせ本願寺を去る。 |
1457 | 43 | 蓮如上人、本願寺第八代法主を継がれる。 |
1460 | 46 | 蓮如上人、『正信偈大意』を著される。 |
1461 | 47 | 蓮如上人47歳の時、はじめて『御文』を書いて門徒を教化される。 |
1465 | 51 | 比叡山の衆徒が東山の大谷本願寺を破却。蓮如上人は近江堅田に移られる。 |
1468 | 54 | 比叡山延暦寺が近江堅田を襲撃。蓮如上人は北陸・東国を布教される。 |
1471 | 57 | 蓮如上人、越前吉崎に坊舎を建てられる。 |
1473 | 59 | 蓮如上人、『正信偈』・『三帖和讃」開板される。 |
1474 | 60 | 吉崎御坊、火災。 |
1475 | 61 | 蓮如上人、吉崎を退去される。 |
1478 | 64 | 蓮如上人、河内出口を出て、山科に移られる。 |
1480 | 66 | 蓮如上人、山科本願寺上棟。 |
1488 | 74 | 加賀の一向一揆。 |
1489 | 75 | 蓮如上人、隠居される。 |
1496 | 82 | 蓮如上人、大坂石山に坊舎を建立される。 |
1499 | 85 | 蓮如上人、85歳でご往生される。 |