【寺院の範囲】津島市,弥富市,名古屋市,あま市,蟹江町,桑名市,稲沢市
【寺院名】真宗大谷派夕照山 西光寺【住所】愛西市稲葉町本郷200
【お寺場所】愛西市市役所東300メートル・稲葉交差点南50メートル

西光寺第十一世 成正法師

西光寺 第十一世 成正法師は小学校を建設

西光寺 第十一世 成正法師
【誕生年】 文政6年(西暦1823年)
【往生年】 明治22年(西暦1889年)
【往生月日】 3月2日
【行年】 67歳
【法名】 信楽院釋成正

先代からの寺子屋を引き継ぎ、子弟の教育をしていたが、明治五年(1872年)の学制発布により、明治六年(1873年)九月に「育材学校」を西光寺に創立し、本堂を教室にして授業をした。しかし、別に校舎の必要を感じ、有力者に学校建築のことを相談したが、当時の人々には学校教育に対する理解がなく、賛成するものがなかったので、独力で学校建築を決心し、田地一町五反を売った千五百円と県から五百円を借り受け工事にかかり、明治七年(1874年)に竣工し「成正学校」と改称した。その校舎は洋風四階建てで、人々は驚きの目で見上げたものであったが、明治九年十二月(1876年)の伊勢暴徒に焼かれてしまった。
後に成正法師は、文部省より褒状と銀杯を授与された。

 



【本願寺とは】親鸞聖人の門弟らが聖人の遺骨を大谷から吉水の北に移し、廟堂を建て宗祖の影像を安置したことに起源する。第3代覚如上人の頃、真宗本廟は「本願寺」の寺号を名のるようになる。第8代蓮如上人は、その生涯をかけてひろく民衆に教えをひろめ、本願寺教団をつくりあげられ現代にいたる。
西光寺開山】諦善法師
【宗旨】   浄土真宗
【宗祖】   親鸞聖人
【西光寺山号】夕照山
【宗派】 真宗大谷派(お東)
【中興の祖】 蓮如上人
【現住職】 第十五代
【ご本尊】 阿弥陀如来
【ご本山】 東本願寺・真宗本廟
【正依の経典・お経】仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)
【七高僧とは】親鸞聖人が選定された7人の高僧のこと。「正信偈」や「高僧和讃」に示してある。以下がその七高僧になる。 
 【第一祖】龍樹大士 【著作】『十住毘婆沙論』、『十二礼』 
 【第二祖】天親菩薩 【著作】『無量寿経優婆提舎願生偈』
 【第三祖】曇鸞大師 【著作】『無量寿経優婆提舎願生偈註』、『讃阿弥陀仏偈』
 【第四祖】道綽禅師 【著作】『安楽集』
 【第五祖】善導大師 【著作】『観無量寿経疏』、『往生礼讃偈』
 【第六祖】源信和尚 【著作】『往生要集』
 【第七祖】法然上人 【著作】『選択本願念仏集』
 【西光寺は愛知県津島市・弥富市・蟹江町・あま市・名古屋市・岐阜県海津市・三重県桑名市に隣接するお寺です。】
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【仏教とは】紀元前6世紀ごろお釈迦さまによって説かれた仏になるための教え。人生は苦であるということ(四苦八苦)から出発して八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教のひとつ。
【浄土真宗とは】鎌倉時代の初めに法然上人の弟子の親鸞聖人によって開かれた浄土教の一派。阿弥陀仏の浄土に生れて悟りを開くことを目的とし、阿弥陀仏の力で救われる絶対他力により信心だけで往生できるとする。真宗とも称し,一向宗,門徒宗などとも呼ばれる。真宗は主に十派あり、本願寺は蓮如上人により興隆したので、蓮如上人は中興の祖と呼ばれる。
【真宗十派とは】真宗大谷派(東本願寺)、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗高田派、真宗佛光寺派、真宗興正派、真宗木辺派、真宗出雲路派、真宗誠照寺派、真宗三門徒派、真宗山元派
寺院とは】仏閣、僧院ともいう。一般的には仏教において、仏像を安置し僧侶などが住み、仏道の研究や布教活動のための修行や儀式を行う場として用いる建物を指す。日本では、古くは山の中に僧侶の修行の場として寺院が建てられたが、のちにお寺は人々の住む町の中につくられ、城下町にも寺院が造られた。江戸時代には、キリスト教を禁止するため、人々はいずれかの寺院に属さなければならないとする檀家(だんか)制度ができお寺は身近なものとなった。
お墓の歴史】現代のような墓石を使ったお墓が建てられ始めたのは江戸時代の元禄年間の頃である。ただ当時は権力者などが中心で一般の人々には縁遠いものでした。一般の人々がお墓を建てられるようになったのは、昭和の初期から戦後高度経済成長で人々が豊かになってからだと言われている。最近ではお墓の代わりに納骨堂自然葬(散骨樹木葬、海洋葬)なども見られる。またお墓を作るには、 墓地、埋葬等に関する法律及び墓地、埋葬等に関する法律施行規則に従い許可が必要となる。
納骨堂の歴史】納骨堂の歴史は古く奈良時代に発掘されたものの中にも見受けられる。当時は霊廟と言われ、墓石が江戸時代に誕生したのに比べ納骨堂の歴史はとても永く続いている。最近ではお墓の代わりとして自然葬(散骨樹木葬)とともに増加傾向にある。
葬儀・葬式の歴史】葬儀の歴史は古く、数万年前のネアンデルタール人の遺跡からも葬儀らしき痕跡が発見されており、日本では縄文時代の遺跡に、腕を曲げて体を負った状態で葬られた屈葬が発見されている。現在日本では火葬が主流になっているが、7世紀以前の仏教が伝来する前は土葬が当たり前であったようである。葬儀の形式も一般葬以外に、家族葬、生前葬、音楽葬、自由葬、個人葬、密葬、直葬などさまざまな形がある。真宗大谷派の葬儀式はここをクリック